ノルシュテイン『話の話』の場面と音楽の転換の推移
ユーリ・ノルシュテイン『話の話』のシーン移行と音楽の転換を時系列で追っています。
[00:00~※※/○○]の形で表記しています。上に直前の状況を書いて場面がなにがキーになって移行しているかをわかるようにしているので、そちらも参考にしてみて下さい。
参照したyoutubeの動画も一緒に貼っておきましたので、時間軸を追いながら確認していただけるとわかりやすいかと思います。
表記の見方
シーン変更の直前
[場面] [音楽]
【作品内の舞台】
「狼の子と廃屋」…以下狼と表記
「光のなかの海辺の家」…以下海辺
「カラスと子供」…以下カラス
「ダンス会場」…以下ダンス
【作品内使用楽曲】
ロシアの子守歌「小さな灰色の狼がやってくる」…以下子守歌と表記
U・ペテルブルグスキー「疲れた太陽」…以下タンゴ
J・S・バッハ「平均律クラヴィア曲集第一巻」…以下バッハ
モーツァルト「ピアノ協奏曲第四番ト短調K・41第2楽章」…以下モーツァルト
Skazka Skazok (Yuri Norstein, 1979) - YouTube
リンゴのアップから赤ん坊を見つめる狼の子
[00:00~01:30/狼] [00:00~01:08/子守歌]
カメラが屋内の光のなかへ
[01:30~03:38/海辺] [01:35~03:38/バッハ]
間に列車が走るシーン
[03:38~06;09/狼] [05:40~06:09/子守歌]
狼の子、女性がくべる暖炉の火を見つめる
[06:09~09:09/ダンス] [06:09~08:09/タンゴ]
[08:58~09:09/タンゴ]
間に列車が走るシーン
木の葉を見つめる目のようなもの
狼の子が暖炉を火を見つめる場面に戻る
[09;48~09:56/狼]
狼の子と女性がいる屋内から右へスライドしてシーン移行
[09:56~12:03/カラス] [09:56~11:36/モーツァルト]
ダンスで登場するような人物が通り過ぎる [11:40~11:59/タンゴ]
列車の汽笛の音
[12:03~13:32/狼]
芋を焼きながら狼の子が鼻歌 [13:20~13:32/タンゴ/狼の鼻歌]
[13:32~14:33/ダンス] [13:32~14:33/タンゴ]
手つかずの食事から芋が焼き終わるシーンへ移行
[14:35~16:57/狼] [15:15~15:34/タンゴ/狼の鼻歌]
[16:08~16:19/子守歌]
Skazka Skazok (Yuri Norstein, 1979) - YouTube
今度は狼の子が屋内の光のなかへ
[16:57~20:01/海辺] [16:57~22:10/バッハ]
旅人が海辺の家族のところを通り過ぎる
海辺の詩人の左側にいた空想上の魚が移動してシーン移行
アップにされた机の上にはハープと紙と瓶に入ったロウソク
[20:01~21:09/狼]
狼を見て目を見開くも、再びまどろむ赤ん坊
[21:09~22:06/海辺]
海辺の家族は父親だけが暗い海へ
[22:06~26:02/狼] [24:39~26:02/子守歌]
画面は右側へスライド
リンゴのアップになってシーン移行
[26:02~26:47/カラス] [26:02~28:06/モーツァルト]
空想をする少年を見つめる狼の子
[26:47~29:02/別れを連想させる各シーン]
狼 →暖炉の火がともらない家
海辺 →牛と遊ばなくなった女の子
→詩の書けない詩人
カラス→落下するリンゴ
ダンス→闇へ消えていく集団
列車が画面左へ通り過ぎて汽笛の音だけが残る
立体交差の上の街灯がともりエンドロール [28:15~29:02/タンゴ]
まとめ
①シーン変更は必ず「狼」の場面が間に挟まれる
②光や火、鼻歌を契機にシーン変更が行われることが多い
③画面のスライドする方向も意味がある(ありそう)
④家族の関係性の変動
狼 →赤ん坊が増える 女性がいなくなる
海辺 →父親、牛がいなくなる
カラス→両親と子供の隔絶
ダンス→夫、あるいは恋人がいなくなる
あとはシーンを超えて登場する狼の子と詩人や赤ん坊の意味などを考えると、もっと繋がりがわかりやすくなるかも知れません